2010年 05月 19日
No More Hiroshima |
お好み焼きで腹ごしらえをした後に向かった先は原爆ドーム。
これまで何度となく教科書やテレビで見た事のある有名な建物ですが、実際に目の当たりにすると胸が締め付けられるような気持ちでした。
戦後65年が経ち、すっかり綺麗になった広島の街にいると、ここに原爆が落ちたという事が何だか信じられないような気がしますが、原爆ドームを見る事によって当時起こった悲劇は紛れもない事実なのだと肌で感じることが出来ます。
戦後間もなくの頃は「原爆の記憶が蘇るのが嫌だから」と原爆ドームの保存に反対していた方も多かったそうですが、戦争を知らずに育った私達に戦争の悲惨さ・原爆の恐ろしさを教えてくれる原爆ドームはこれからも大切に保存していく必要があると思います。
原爆ドームの脇に流れる川沿いではフラワーフェスティバルの出し物としてオカリナの演奏が催されていました。青い空と楽しげな音楽、そして半壊した原爆ドームの不似合いな組み合わせは、何とも言えない不思議な光景で、今私達が平和に暮らせている事の有難さをひしひしと感じました。
この後は原爆資料館にも行ったのですが、ものすごい人ごみで展示物を見るのも一苦労でした。
長崎の原爆資料館では被爆者の方の手記や手紙など、人々の気持ちを伝える展示が多かったのに対し、広島の資料館では原爆の威力や酷さを伝える展示が多かった気がします。
世界で核実験が行われる度に、その国に対して送っている広島からの抗議文。数え切れないくらい沢山の抗議文が壁に貼られているのを見て、こんなに恐ろしい核兵器が今なお世界中で増え続けている事を心から悲しく思いました。
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これまで何度となく教科書やテレビで見た事のある有名な建物ですが、実際に目の当たりにすると胸が締め付けられるような気持ちでした。
戦後65年が経ち、すっかり綺麗になった広島の街にいると、ここに原爆が落ちたという事が何だか信じられないような気がしますが、原爆ドームを見る事によって当時起こった悲劇は紛れもない事実なのだと肌で感じることが出来ます。
戦後間もなくの頃は「原爆の記憶が蘇るのが嫌だから」と原爆ドームの保存に反対していた方も多かったそうですが、戦争を知らずに育った私達に戦争の悲惨さ・原爆の恐ろしさを教えてくれる原爆ドームはこれからも大切に保存していく必要があると思います。
原爆ドームの脇に流れる川沿いではフラワーフェスティバルの出し物としてオカリナの演奏が催されていました。青い空と楽しげな音楽、そして半壊した原爆ドームの不似合いな組み合わせは、何とも言えない不思議な光景で、今私達が平和に暮らせている事の有難さをひしひしと感じました。
この後は原爆資料館にも行ったのですが、ものすごい人ごみで展示物を見るのも一苦労でした。
長崎の原爆資料館では被爆者の方の手記や手紙など、人々の気持ちを伝える展示が多かったのに対し、広島の資料館では原爆の威力や酷さを伝える展示が多かった気がします。
世界で核実験が行われる度に、その国に対して送っている広島からの抗議文。数え切れないくらい沢山の抗議文が壁に貼られているのを見て、こんなに恐ろしい核兵器が今なお世界中で増え続けている事を心から悲しく思いました。
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by fly-miki-fly
| 2010-05-19 23:43
| 広島 2010.5